「もし、あの頃にスマートフォンがあったなら、仲間外れにされていても、気を紛らわせることができていただろうか?」
そんなことを思いながら、スマートフォンのカレンダーをスクロールしていました。
気がつけば今年ももう10月。
あの日々も10月だった・・・。
修学旅行の初日の夜、グループの中に溶け込めずにいた私は、廊下に出て、ひとり泣いていました。
旅館に着いてから携帯電話で、母に泣いて電話したことを、今でも覚えています。
旅館に着いてから、グループのみんながワイワイやっている中に、私ひとりだけ溶け込めずにいた。
私だけが違う世界にいる感覚だった。
寂しかったんじゃない。
とても辛かった。
泣きながら携帯電話で、母に電話したことを覚えている。
気がつくと、他のクラスのリエちゃんが、泣いている私の横に寄り添ってくれていた。
その子だけだった。
私を理解し、慰めてくれたのは。
彼女だけだった。
今、これを読んでくださっているあなたも、きっと辛い状況にいるのだと思います。
でも、決して無駄になる出来事じゃないし、いつかきっと誰かに話せるあなたの財産になる経験だから、大事にしてほしい。
そして、大人になった私からアドバイスできるとしたら・・・
「クラスのグループに居場所がなかったら、他のクラスになんでも話せる友達を、ひとり見つけてみてほしい」
と伝えたいです。
その子に何でもかんでも頼るのではなく、あなたもその子の悩みに耳を傾けてあげてください。
お互いに理解し合って、慰め合える友達がひとりでもいたら、あなたもきっと心強いと思います。
あなたがひとりぼっちの時、その子もひとりぼっちかもしれない。
そんな時、「あの子には私がいるから大丈夫」と思えたら、修学旅行はただの悲しい思い出だけでは終わらない気がします。
今回は、修学旅行の夜、グループの中に入れず、ひとりで泣いていた私が他のクラスのリエちゃんの存在によって、救われたことを書いてみたい思います。
ぜひ、修学旅行の予行練習のために、読んでみてくださいね。
あなたのカルカッタは、どこにある?
私の体験談を語る前に、まずは一人の偉人について紹介することから始めましょう。
なんでもないほほえみがおよぼす効果には、計り知れないものがあります。
出典ーコミック版世界の伝記 マザー・テレサ
この言葉は、インド カルカッタのスラムで貧しい人々への奉仕に人生を捧げた修道女、マザー・テレサの名言です。
マザーは言います。
「自分は誰からも必要とされていないんじゃないか?」と思う時、人は生きる希望を無くしてしまうと。
物があふれて便利な世の中になった反面、他人に無関心な人が増えてきたように感じるのは、私だけではない気がします。
マザーが残した言葉の「愛の反対は無関心である」、まさにその通りではないでしょうか?
マザーのロンドンでの出来事を少しお話ししましょう。
道端にひとりポツンと座っている老人がいます。
マザーが彼の手を取ってそっと握りしめると、老人は大声を出して泣き叫び始めました。
「なんて温かいんだ!私は何年も人から手を握ってもらったことがなかったんだ!」
この老人のように孤独に追い込まれている人は、きっと今の世の中にもたくさんいると思うのです。
自分は誰からも必要とされていない、そして自分を理解してくれる人もいない。
そう思った時、人はひとりぼっちの海に投げ込まれるのです。
私たち人間は、誰かに必要とされ、また誰かに理解される時、生きる希望が湧いてきます。
だからこそ、あなたの近くで泣いている人がいたら、声をかけてあげてほしいのです。
そして、あなた自身を理解してくれる友人を、ひとりでいいから見つけてみてください。
ひとりで悩んでいる友人を見て見ぬふりをせず、優しく声をかけて、寄り添ってあげること。
あなたが奉仕できる場所は、必ず学校にあります。
そこが、あなたのカルカッタです。

心の貧困を作り出したのは、私たち人間なのです。
友達の本質を学んだ夜

修学旅行の夜、私のそばでずっと見守っていてくれたひとりの友人のことを話しました。
問題点とはきっと、次のようなことではないでしょうか?
どのようにしたら、何でも分かり合える友達をひとり見つけられるか?
私がリエちゃんと親しくなれた理由。
それは、私だけが胸の内を語るのではなく、リエちゃんの悩みや思いにも耳を傾けることができたからだと思っています。
当時、リエちゃんも修学旅行のグループのことで悩んでいたのです。
だから私も、彼女の思いに寄り添い、力になりたいと願いました。
人間関係で大事なことは、相手に与えて、そして自分も受け取れる間柄が、長く続く秘訣ではないかと思います。
クラスには仲のいい友達がいなかったけれど、リエちゃんのおかげで友達の本質を知れたような気がしています。
※泣いた夜、リエちゃんのグループの部屋で寝たことが先生たちにバレて、怒られてしまいましたが、今ではいい思い出です。
バスにひとり取り残されたあの日

ここでは少し、残酷な実体験を語らせてください。
クラスの誰一人として、私に声をかけなかった場面についてです。
あれは確か、寺巡りの時でした。
私は参加することができず、ひとりでバスに残って泣いていました。
悲しい出来事は、いつまでも鮮明に覚えているものですね。
男子たちが、バスに帰ってきました。
私が泣いているのに気がついたのか、
「この状況w」
「うん」
みたいに話しているのが聞こえてきました。
もちろん、男子なので、気楽に声は掛け辛いですよね・・・。
そして、決定的な瞬間が訪れます。
旅館に着いた時、誰一人として「さおりん、一緒に行こう」と声をかけずに、女子たちみんな、バスから降りて行ったのです・・・!
つまり、私一人だけ、バスに取り残されました。
今思えば、あれは、イジメだったのか、ただの仲間外れだったのかは分かりません。
でも、心に深い傷を負ったことは確かだし、今でも消えることのない記憶です。
どうか、ひとりで泣いている友達がいたら、声をかけてあげてほしいのです。
マザー・テレサの言うように、愛の反対は無関心です。
ひとりぼっちの人に何かを与えられる、そんな人が今の時代に増えていくことを、願って止みません。
あなたの微笑みが、きっと誰かを救う
修学旅行の夜、グループの輪に入れず、私はひとり泣いていました。
けれども、他のクラスのリエちゃんの存在によって、私は修学旅行を無事に乗り越えることができました。
修学旅行の初日、旅館に着いてから、グループの会話に入っていけなかった私は、廊下に出て一人泣いていた。
携帯電話で、母に電話していると、他のクラスのリエちゃんがそっと見守ってくれていた。
彼女だけが、私の心の深いところまで理解してくれた。
クラスには仲のいい友達がいなかったけれど、リエちゃんの存在によって、辛い修学旅行を乗り越えることができた。
大事なことは、何でもかんでもリエちゃんに頼らなかったこと。
リエちゃんの話にも耳を傾けて、お互いに理解し合える間柄でいたことがとても重要であったと思う。
最後に、マザー・テレサの言葉をもう一度述べて、今回のお話を終わりにしますね。
なんでもないほほえみがおよぼす効果には、計り知れないものがあります。
出典ーコミック版世界の伝記 マザー・テレサ
あなたから、微笑みの人になろう
高校時代の修学旅行、本当にいろんなことがありますよね。
本音を言えば、普通に友達と関わりたいだけなのです。
でも、それができない。
うん。
できなくてもいい。
ただ、私の友達リエちゃんのように、あなたを心配してくれる人は、いつかきっと現れる。
今はまだ出会っていないだけなのです。
大丈夫。
その出会いのために、まずはあなたが、微笑みの人になれるように、辛いことがあっても負けないような、そんな強い人になれますように。
①あなたがひとりぼっちの時に、手を差し伸べてくれる人は必ずいるということ。
②あなたも自分から、相手に手を差し出せる人となれるように。
③泣いている人がいたら、見て見ぬふりをせず、迷わず声をかけてあげられる私たちであれるように。
ことのは さおり

